November 6, 2009
mitsuo 在天空部落發表於
2009-11-06 07:52:45
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「愛とは、何かをしてあげることだ」と思っていると、その基準は確かに簡潔で分かりやすいかもしれませんが、やがて愛が我慢になったり、自己犠牲になっていったりするのです。
つまり、掘り下げていけば、罪悪感の下にも、我慢の下にも、愛情はあるのですが、“何かをしてあげること”だけを愛情の基準にすると、本来の愛の姿から微妙にずれていってしまうのです。
大切に思う気持ちの表れとして、相手に何かをしてあげることはありますが、愛とはそもそも、純粋に相手のことを大切に思う気持ちです。
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罪悪感や我慢から生まれる行為は、献身的に尽くしているように見えるため、愛情表現のように思えるかもしれません。
しかし、「申し訳ない」という気持ちから相手に何かをしていったとしても、どんどんありのままの自分から離れ、あとで犠牲を感じるようになります。
そして、見せかけは愛でも、どんなに良いことをやっているように見えても、心の中で「これくらいはやらなければ」と、義務的な気持ちや自己犠牲から誰かにしてあげたことは、相手も受け取ることができません。
例えば戦争中、「お国のために」と、たくさんの人が死んでいきましたが、残された人たちは、その犠牲に感謝して前向きに生きていくどころか、「ああ、申し訳ない。自分たちも、彼らのように最後まで戦わなければ」と思うようになっていきました。
犠牲によってなされた行為は、たとえそれが相手を大切に思う気持ちの表れだったとしても、相手に、「申し訳ない、自分も犠牲しなくては」という気持ちを生じさせてしまいます。
犠牲は犠牲を生み、罪悪感は罪悪感を生むだけなのです。
では、罪悪感や我慢は、どこから出てくるのでしょうか?
多くの場合、それは愛を誤解しているところから始まります。
「愛とは、何かをしてあげることだ」と思っていると、その基準は確かに簡潔で分かりやすいかもしれませんが、やがて愛が我慢になったり、自己犠牲になっていったりするのです。
つまり、掘り下げていけば、罪悪感の下にも、我慢の下にも、愛情はあるのですが、“何かをしてあげること”だけを愛情の基準にすると、本来の愛の姿から微妙にずれていってしまうのです。
大切に思う気持ちの表れとして、相手に何かをしてあげることはありますが、愛とはそもそも、純粋に相手のことを大切に思う気持ちです。
その人のために一生懸命働くという気持ちでも、その人に何か物をあげようという気持ちでもありません。
ここを誤解したまま進んでいくと、自分に罪悪感や我慢を感じさせている相手に、だんだん怒りが募っていきます。
愛情の多寡を行為や物で量れば、足りない足りないと、不平不満ばかりになるでしょう。
「自分はこんなにしているのに、相手は全然してくれない」と、突然ぶち切れたりする人もいます。
でも、もし、あなたが何もできなくなってしまったとき、それでも相手があなたのことを大切に思ってくれていたら、どんな気持ちがするでしょうか?
あるいは、相手が何も出来なくなったとき、あなたは相手のことをどう思うでしょうか?
相手が何も出来なくなったからといって、あなたへの愛情がなくなったのでしょうか?
特に男性は、ここのところを間違えてしまう人が大勢います。
リストラされて会社をクビになったら、もう自分に出来ることはなくなったと、自分を愛情から切り離して、簡単に自殺してしまうのです。
そうしたら、奥さんや親はどう思うでしょうか?
「私たちはそんな関係だったの?」と、絶望や無力感にずっと苦しみ続けることになります。
「出来なくなったら、もう愛じゃないんだ」と思ってしまったら、愛がどんどん狭くなっていきます。
何かをしてあげることよりも、ただそばにいて、「大切だよ」と、はっきり伝えてあげることが、一番大切なことなのです。

































